SNSを中心とした情報発信やコミュニティ運営において、誰もが直面する可能性のある「クレーム」や「批判的な意見」。その際、発信者が良かれと思って行った対応が、かえって周囲に強い違和感や“ちぐはぐさ”を与えてしまうケースが少なくありません。
今回は、SNSで見かけたある事例をベースに、起業家が知っておくべき「発信の言語設計」と「場づくりのコミュニケーション」の本質について考えます。
ある主催者の「謝罪動画」に感じた言葉のちぐはぐ感
先日、Instagramである発信者の方の投稿が目に留まりました。
その方は、自身が主催したビジネス交流会について、「ビジネスの場に子どもが同席しているのはいかがなものか」というクレーム(意見)を受けたそうです。それに対してフィード上に謝罪動画と文章をアップされていました。
投稿の趣旨は、不快な思いをさせたことへの謝罪。その上で、「自分としては子育てを理由にビジネスや挑戦を諦めたくない。みなさんはどう思うか、正直な気持ちを聞きたい」とフォロワーへ問いかける内容でした。
一見すると、批判に対して真摯に向き合い、対話を試みている誠実な対応のように映るかもしれません。しかし、全くの無関係である私がスクロールせずに手を(目を)留めたのは、そこに違和感があったからです。
言葉を扱うプロの視点、あるいはビジネスの発信設計という視点から観察すると、ここにはいくつかの構造的な「ちぐはぐさ(矛盾)」が隠れているのではないかと思いました。

「謝罪」の体裁と「自己主張」が混ざるメカニズム
最も大きな違和感の正体は、「言葉の定義」と「実際の行動・メッセージ」の不一致にありました。
謝罪の場でメッセージを矛盾させない
「ビジネスの場に子どもがいることに違和感がある」という声に対して謝罪の意を表するのであれば、本来であればその謝罪動画自体は「子どもがいない環境」で撮影されるのがメッセージの一貫性として自然です。
しかし、もしその謝罪動画自体にも子どもが映り込んでいたり、子連れの環境で撮影されていたりした場合、受け手(特に違和感を抱いた側)にはどう映るでしょうか。「配慮すると言葉では言っているが、行動では自分のスタイルを一切変えるつもりがないのだな」という印象を与えかねません。
主催者側としては「これが私の日常であり、ありのままの姿」という意思表明のつもりだったとしても、受け手にとっては「言葉は謝罪、内容は信念表明」という矛盾した二重メッセージとして受け取られてしまうのです。
坂本どんな価値観であるかよりも、矛盾した行動や言動は、人間関係において最も注意しなければなりません。
「謝罪」という言葉が持つ責任範囲
本来、「謝罪」という言葉を前面に出すと、受け手は自然と以下の要素を期待します。
- 自分側の判断や行動に何らかの非があったと認めること
- 指摘された問題点に対して、今後の改善・修正の意思があること
もし、根底にある本音が「子連れでビジネスをすること自体は決して悪いことではない」という強い信念であるならば、安易に「謝罪」という看板を掲げるべきではありません。看板(謝罪)と中身(信念)が一致していないことこそが、見る人にモヤモヤとした不信感や違和感を与える原因になります。
看板は「謝罪」なのに、中身は「正当性の主張」という矛盾
もちろん、相手を不快にさせてしまったこと自体には、まず真摯に謝罪すべきです。
しかし、今回のケースは「Instagramという不特定多数が見る場での動画投稿」です。 すでに当事者間での謝罪は済んでいるはずですし、あえて動画で「子連れの姿」を見せながら自分の価値観を伝えるのであれば、テロップに「謝罪」という言葉を選ばなくてもよかったのではないか、と思うのです。
謝罪という看板を掲げながら、その裏で自身の正当性を主張する。その「見せ方」のちぐはぐさこそが、違和感の本質ではないでしょうか。


「意見募集」が議論を閉じる?SNSの空気感の盲点
もう一つの興味深い論点は、「みなさんはどう思いますか?」という問いかけが持つ、コミュニティ内の心理的力学です。
その投稿のコメント欄を開くと、主催者の知人やファン、同じ立場の熱心なフォロワーによる「気にしなくて大丈夫です!」「ママだって働く権利がある!」「応援しています!」といった共感と励ましの声で溢れていました。
一見、温かいコミュニティの姿に見えますが、こうして特定の方向性の「空気」が一度形成されてしまうと、本来の「反対派(ビジネスに集中したい層)」や「フラットな意見を持つ層」は、怖くて二度とコメントが書けない状態になります。
表面上は「率直な意見を聞かせてほしい」というオープンな対話を装いながら、実際には身内の結束や共感を確認するだけのクローズドな場になってしまう。これはSNS発信において非常に陥りやすい盲点です。



これは発信者が意図せず……というのもあると思います。問いかけをするなら、XやThreadsの方が(インスタより)非フォロワーからのコメントが期待できそうですよね。
クレームを「お客さまの本音」と捉える場づくり
では、ビジネスを牽引する起業家や個人事業主が、同様のフィードバックを受けた場合、どのように言葉を設計し、場を構築すべきでしょうか。
ビジネスの目線に立てば、「子連れはいかがなものか」という意見は、単なる感情的なクレームではなく、「この市場には、高い費用や時間を払って、とにかく集中して学びたい・人脈を作りたいというニーズが一定数存在する」という貴重なデータです。
これを「正しいか・間違いか」という善悪の議論に持ち込むと対立を生みますが、「誰にどんな価値を提供する場にするか」という設計の話に切り替えるのがプロの対応です。
もし、自身のスタンス(子連れの選択肢を大切にしたい)を崩さずに発信するならば、以下のようなアプローチと言葉の設計が考えられます。
【対話型】ご意見への感謝と受け止め
最初から「謝罪」の枠組みを外し、まずは異なる意見の存在を真摯に受け止めるアプローチです。
「今回の交流会について、貴重なご意見をいただきありがとうございます。『ビジネスの場として集中したい』というお声も、非常に大切な視点として受け止めております。その上で、私自身は子育て中であっても学びや挑戦を諦めなくていい社会を目指したいと考えています。今後は双方のお気持ちに寄り添える形を模索してまいります。」
【表明型】自身の主語とポジションの明確化
謝罪ではなく、最初から「私の見解・方針」としてメッセージの主語を明確にする方法です。
「本日は、子連れでのイベント開催に関する私の考えをお伝えします。ビジネスに深く集中したいというお気持ちも深く理解しています。一方で、子育て期だからこそ挑戦の機会が必要であるとも確信しています。誰かが我慢を強いられる場ではなく、それぞれの選択肢が共存できる場づくりを模索していきます。」
【限定謝罪型】事前設計の不足に対する改善の提示
「子連れというスタンスそのもの」を謝るのではなく、「事前の案内や配慮、設計の甘さ」に限定して非を認め、具体的な改善策を提示する方法です。
「今回の交流会において、事前の告知や配慮が十分に行き届かず、一部の参加者様に快適な環境をご提供できなかったこと、真摯にお詫び申し上げます。子連れでの参加という選択肢は今後も大切にしていきたいと考えております。そのため、今後は『大人限定の集中回』と『子連れ歓迎の交流回』のように、提供する場の設計を明確に分け、皆さまが安心してご参加いただけるよう工夫してまいります。」


まとめ:主語と言葉の責任範囲に自覚的であること
今回の事例から学べる最も重要な教訓は、「自分が何に対して発言(あるいは謝罪)しており、その責任範囲はどこまでなのか」を、感情に流されずに言語化する重要性です。
言葉の定義がブレたまま発信をすると、どれほど誠意を尽くそうとしてもメッセージがちぐはぐになり、結果として誰にとっても居心地の悪い空間を作り出してしまいます。
講座やイベント、コミュニティを主宰する起業家だからこそ、自分が発する言葉の影響力と、それが生み出す「場の空気」に対して、常に自覚的でありたいものです。










